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自分は好きか嫌いか

自分は、自分が好きなのだろうか。 自分が好きなところ、好きではないところ、 どちらもあるだろう。 まずはじめに、その自分は本当の自分なのか。 本当の自分があるとして。 自分が思う自分は、ほんとうにその通りの存在なのか。 我思う、ゆえに我あり(デカルト) 君思う、ゆえに我あり(レヴィナス) ニーチェ、ヒューム、フッサール(呪文?) あとは沈黙になりそうだから、とりあえず、自分〈仮〉であるとしておこう。 自分〈仮〉を「好き」とか「嫌い」とか思う自分は、どんな自分なのだろう。 「自分が好きと思える自分」のことは好きなのかな。 などと、無限の階層、無限の入れ子になってしまう。 自我とか超自我とかいう構造を思い浮かべるけど、 自我のなかにも自我がいたりしませんか、フロイト先生。 自分〈仮〉は言葉であると言ってしまえばいいのかもしれない。 言語は 齟齬 そご であり、どうがんばっても表現には限界がある。 あなたと私で、同じ言葉でも色がほんの少しちがっている。 言葉であらわされた自分は、ちょっと解像度が低い。 粗い。ぼやけている。ぶれている。揺らいでいる。 おや、 いい感じじゃないですか、これはこれで。 どんな自画像もポートレートも自分じゃない。 自分らしく見えるとしたら、それは心で受け取っている方のこと。 心がこころを見ている。 揺らいでいる、野の花のように。 そういう自分なら、好きだと思う。

あることないこと

「引き算が大事」、 デザインや企画・創作の場で言われだした言葉だ。 ということは同じくらい足し算だって大事なのだ。 定量化するのは難しいけど、きっとその比率は半々だと思う。 宇宙の神秘とか量子物理学的に。 何かをするのに、いきなり引き算から始めることはできるのだろうか? ダイエットは? ふだん食べている量をへらす。断食してもマイナスにはならない。ゼロだ。 デザインなら、要素を削っていけば引き算になるが、真っ白な段階では削りようがない。 株式の売買。 これは可能。株を持っていなくても「空売り」と言って、いきなり売りから始められる。 その株が近い将来に下落すれば買い戻し、その分だけ自分の利益になる。経済は欲深い。 人間はどうだろう。 能ある鷹は爪を隠す、ような振る舞いなら可能だろうか。 下手 したて に出る、謙遜する。 いざというときは存分に能力を発揮して、周囲を驚かせる… (良い例が思い浮かばない。何かあったら教えてください。) 本題。 ないことに気がつけるか。 これはかなり難しいと思う。 人間の認識の仕方として。 家に雑臭がないことに気がついた。 家の人が消臭するものを見えないあちこちに設置しているのだ。 きれいでスッキリした部屋ですね。 もとは出しっぱなしの物、ゴミと埃だらけだったかもしれない。 健康やインフラ、日常。 失ってみて、その何でもないことの大切さに気がつくものだ。 ないことに気がつくのは、洞察力というより発想や想像だろう。 因果関係をたくましく 遡 さかのぼ れるか、無から有を構想できるか。 並べて比較して、その差を語ることはできる。 しかし無と向きあう姿勢をとり、無と取っ組みあうのは難しい。 (取っ組み合いをしている例もある。パントマイムやエア・ギター等。) 実は、 「ない」も「ある」に含まれる。 本当にないものは概念化できないし、指し示すことも不可能だからだ。 つまり、ないという状態があるのだ。穴は空間だけど、そこにあると言える。