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かわいい努力

私は会社員のころ、かなり痛めつけられた。それおかしいだろ?と思うことが多かった。 メンター(社会的な相談相手)に、仕事上で起こる理不尽や不条理について相談したことがある。「わかるけど、そりゃしょうがないんだ、そこは反抗じゃなく、さらに上を行くしかねぇよな。絶対文句言わせねぇぞっていう、そこは勝負よ」実際彼はその通りの人だった。しかしそう話しながらも、一抹の切なさもある表情だった。そういうところが私は好きだった。 彼は小さな新聞社を切り盛りしていた。うかうかしていては情報を取り損なう、毎日がアンテナ全開の勝負だ。よく飲み、食べ、話し、とにかく歩く。家に帰れば家族やペットの世話や家事もする。べらんめえな江戸っ子で、気概がある。弱さもある。飲みながら「まいっちゃうよなぁ〜」とこぼすこともある。私が都外に引っ越してから疎遠になってしまった。変わらずお元気でありますように。 私はフリーランスになった。波に乗るのに一年かかった。常につきまとう不安。新規開拓もしたけれど、結果から言えばコネが大きかった。コネは社会的な信用度でもある。それを得るための会社勤めだったと、振り返って思う。学校を出てすぐに、また中には在学中から社会で活躍している人を見ると眩しい。しかしそういう人は目立つから目にしがちなだけ。そうでない人がほとんどだろう。 不安から必死になった。性格的にのんびりしているので、きっとのんびりした必死だったとは思う。仕事が順調になり、スキルも上がってくる。チャンスだったのだ。自由にやらせてもらった。恵まれていた。周りの人たちに育てられた。 仕事を早くリターンしてあげると、相手がびっくりする。私はそれがうれしかった。裏を返せば、そんなふうに喜んでくれる相手に恵まれていた、とも言える。 努力はできる時が限られてると思う。「努力するチャンス」がある、変な言い方だけど。その時にしかできない努力。できる努力は変わっていく。そうじゃない努力をすると、きっとボロボロになる。それは努力ではなくて我慢や徒労だろう。 我慢と努力は違う。はっきりと分けるべきだ、感情的にも内容的にも。 こう書くといかにも堂々としてる。 でも正直に言えば、私は努力は嫌いだ。たとえ納得したことでも、できればせずにすませたい。先述のメンターさんに言ったらぶっ飛ばされるだろう。 おそらく私の場合、努力しないですむ努力をやって...