お盆休み前後、記録

2024年8月の記録をしておく。
後半は生々しい記述があるので、お気をつけください。

  • 冷蔵庫があやしい。冷凍庫のアイスがほんの少し、ゆるいので気がついた。真夏の買い替えは避けたい。
  • パソコン(Mac)の買い替え。
  • パソコンの移行作業。移行アシスタントは失敗、入力のユーザー辞書以外は何も引き継げなかった。OSのバージョンが違うとできないとのこと。
  • パソコンの引き継ぎを手動でおこなう。アプリ、メール、スケジュール、連絡先、設定。数日かかる。
  • 最後までモリサワでつまずく。不便な仕様で毎回困る。迷惑でしかない。既得権益モデル。
  • 地方で法要のため、バス→飛行機→地下鉄で移動した。博多に前泊。
  • 博多→特急→ローカル線を乗り継ぎやっと目的地に到着。
  • 法要で数年ぶりに親戚が集う。いろいろ話したり聞いたりしたかったが、いざ顔を突き合わせるとおたがい静かになってしまう。少し後悔。
  • 幼少の頃から可愛らしく、学生時は麗しかった子、そのまま美しい大人になっていた。頑張らなくても勉強ができるタイプ。妖精か何かの化身なのか?
  • 丸一日かけて帰宅。
  • 帰路の途中、救急隊員や病院から連絡が入ったり、こちらから連絡したり。認知症の年寄りが動けなくなって緊急入院。一大事ではあるが、あわててもしかたない。
  • 翌日、年寄りを見舞う。点滴をしているが、元気。一安心。
  • 年寄りの家へ行き、入院までの残骸を片付ける。異臭、生々しいゴミや脱ぎ捨てた衣類の山に思わず目をおおいたくなった。気持ちを切り替え、片端から処分、洗濯、掃除。やるしかない。
SNSはずっと留守にしていた。ネットにつながっていなくても、テレビやメディアを見なくても、本すらなくても、それらに対して何の渇望も生じなかった。モニターや文字を見ないので、目が回復し、ぶれることなく遠くまで見えた。
それでもBlueSkyのフォロワー諸氏のことは、たまに思い浮かべていた。

年寄りの後始末は強烈。逃げてはいられない。
しかし、認知症気味とはいえ普段は身の回りのことをこなし、掃除や買い物も自分でまめにしていた。それだけに、この惨状は過酷な状況だったことを物語っている。

私は部屋を片付けながら、悲惨な状況と対話した。
ここでこんなふうにしていたのだな、動けないからおトイレ大変だったろうな、ティッシュもたくさん。この毛布にくるまっていたんだね。冷凍のシュウマイが転がっていて、お腹が空いてたろうな、ペットボトルも空で苦しかったね。殺虫剤がたくさん、ゴキブリが死んでる。襲われそうで、たくさん殺虫剤まいたんだね。怖かったよね…

本人は、その間の記憶が抜け落ちていた。倒れて、自ら救急を呼んで、という記憶しかない。私は拍子抜けしたが、つらかった時間を忘れているなら、その方が良い。
退院したらまた家に戻ると言っている。それまでに、何事もなかったかのように家の中をリカバリーしておこうと思う。

私は一人っ子である。私一人に対し、老後の面倒を見るべき親は二人いる。亡くなるときはそんなに都合よくきれいに行くものではなく、晩年のドロドロも含めてしっかり子が面倒を見なくてはならない。世間には、伴侶の親や兄弟親戚の世話をさせられている人も少なからずいらっしゃるだろう。そして気がつけば自分もお世話してもらう側になっている。

恐れなくていいと思う。一つ一つをこなしながら、少しづつ慣れていく。そういう日常になっていく。
歳をとるとはそういうことでもある。