失敗論(改稿 25.9.5.)

あらゆる場所で、「変わるべき、変えたい」という願いは常に潜在している。

しかし人は成功を求めすぎている。だから試すことにも慎重になる。

責任を誰が取るのか、損失をどうするのか、皆の意見も一致しない。
宙ぶらりんのまま、申し訳ていどの手直ししかできない、そのジレンマ。

もっとたくさんの試行錯誤がなされていい。
おそらく多くが失敗するだろう。失敗し続けるのは当然のこと。

失敗とは何か? 何だろう。
それすら定義できずにただ失敗失敗と決めつけている。

原因と結果、そんなふうに簡単に因果など結べるものか。
何をもって成功といえるのかも怪しい。

──ロケットが無事に打ち上がりました。成功です。
実はそのシステムはあまりよくなかったのですが、成功したので採用されました。
結果、そのロケットは長くは運用されませんでした。
新ロケットの開発にまた莫大なコストがかかりました。

これは成功か?

失敗することで開ける道、見えてくる道がある。話し合うこともできる。
路線を変更し、修正し、失敗や損失の穴埋めも皆でやらなくてはならない。
もしかすると、成功するより失敗を生かす方が難しいかもしれない。

それでもまた挑戦する。あるいは自分たちがだめでも他の誰かへバトンをつなぐ。

失敗とその責任者への罵倒が激しすぎるのだ。
批判するエネルギーを改善策に回せ。言い放しで何もしないのは不毛だ。
失敗を殺すな。恐れず黙せず、できることを考え続けたい。