まけてたまるか
人とのやりとり、トラブルや課題、生活や仕事など、戦いを強いられる場面はある。
相手や対象がある場合、それが自分自身の場合、あるいは、具体的な相手がないこともある。
戦うからには勝敗がある。
そもそも、
勝敗を決めるのは誰か?
ジャッジする審判はいるのか?
そこにルールはあるのか?
正義とか悪とか、そういう善悪の線引きをしたいのだろうか?
それとも守りたいものを守るためだろうか?
戦いには競争の臭いもある。
戦いの結果、
勝者が得るもの、敗者が失うもの
勝者が失うもの、敗者が得るもの、は何だろう。
勝者と敗者が決まるのなら、それにより上下関係や力関係が生じるかもしれない。
優劣や、正義・不正義が定められてしまう可能性もある。
反対に、たまたま勝ってしまって気まずいと思う勝者もいるだろう。
それはそれとして
戦う者は、本当は、誰と・何と戦っているのだろうか。
「まけてたまるか」という表現もある。
負けないと言っている。
勝つと言っていない。
不条理さに押しこまれているが、しかしそれは押し戻してゼロにすればいい。
そのために負けないことを掲げる。
「まけてたまるか」には、「まけない」「まけたくない」より、胆力や意気を感じる。
「たまるか」に、今は分がわるいけれど、それを克服するような踏ん張りを感じる。
小学校の徒競走で順位をつけるのをやめた、という話を聞いたことがある。
それはそれで根本的な何かを勘違いしている、とは思う。