獣の眠りと血
寺山修司全歌集を読む。内、2首。
「わがうちに 獣の眠り 落ちしあとも 太陽はあり 頭蓋をぬけて」
獣が眠りに落ちたのか、太陽の落日か。眠ったというよりも、猛るままにやむなく眠りの淵へ引きづられていったのだろう。眠りを眠らず無言のままに沸騰している獣の魂。
それでも太陽はおかまいなしに照り続けてくる。唐突な「頭蓋」に思わずハッとする。
絶対的太陽の存在、容赦なく突き刺してくる陽光は、歯ぎしりしながら眠る獣の喉笛に、刃を突き立てている。獣に安眠はなく、日は沈むこともない。
「屠たる 野兎ユダの 血の染みし 壁ありどこを 向き眠るとも」
屠るという行為は、昔なら生活の一光景だったのかもしれない。今見ると冷たいものが背筋をなぞりあげる。
「殺す」でないのは、それがイエスの肉となるからだろう。「屠る」を用いたので「野兎」を置かねばならなくなった。兎という言葉も無垢な漂いがある。ユダは憎まれながら愛されている。
しかしその血は、無情だ。ユダの死そのものより露骨で生々しい。どこに目を向けてもその符号から逃れられないのだからたまったものではない。そういう定めを負う。(負う、背負う、は「負ける」と書く。)
負っているのは、誰か。