仕事ふりかえり

(今回は言いにくいことも書き、私の主観が強く出ています。ご了承ください。)

仕事。

「できればせずにすませたいのですが」。
バートルビーの有名なセリフ。それは死の香りをまとっていたのだが。

働くのが当たり前という思いこみ、教育、社会的要請、世間体。
当時、何の疑いもなく、皆と同じように社会人のスタートを切った。
開発職希望にもかかわらず営業職に配属。荒波にのまれ苦しむ日々。
自分磨きと割り切って3年我慢。部長に直訴し、やっと開発部へ異動。
その後もいろいろな部署へと転属した。ピンチの部署へかり出される。
最後の営業はさすがに限界で、外回りせずに会社にいた。成績も惨憺。
思い詰めたあげく、一応の円満退職。フリーランスへと抜けた。

会社に尽くしたつもりではあるが、会社・社会に育ててもらったのも事実だ。
会社や社会に育ててもらえるように、自分で努力したと言えるかもしれない。
言表は、ほんのコインの裏表に過ぎない。

とにもかくにも
暗くて厳しいトンネルをくぐり抜けたあとの、空の青さよ。
すべてはバネになる。

フリーの仕事は楽しい。趣味をしながらお金をいただいている気分。
とは言え、例えるなら、好きな食べ物を毎日食べろ、1日で10人前食べろ、という世界。
でもそれは我慢できる。営業先で胸ぐらをつかまれてこの野郎!と言われるのとはちがう。
(会社時代のエピソードは多い。窓から飛び降りようと決意した日もある。たまたまその日は平穏で、死ぬことはなかったが。)

学業でも仕事でも、意義があるのか?ないのか?はよく問われること。
結果や結論は永遠に出ない。因果関係をただせば、どうにでも言える。
今は失敗だったと思うことが、10年先には見方が変わることもある。
〜のせい、〜が原因、などと因果をとなえることは無駄だと思う。

思えば、幼少期から高校までも泣きたいような日々だった。いじめもあった。

経験や体験を捨て去ることは困難だ。生かすもこだわるも無視するも自分の心次第。
私は抱えこまないし後悔もしない。自分の大切な時間が失われて馬鹿馬鹿しいから。
引き出しにはしまってあるので、フラットな気持ちで取り出して考えることはある。

私は鈍感なのかもしれない。
繊細であることを捨ててきた。
ただ、心の底には炎はまだ燃えていると思う。
炎を良かれと思うことに使おうと思っている。
そのために考え、想像し、表現し、対話する。

一人で何をやっているのだろう、とも思う。
人間という生き物についての対話が必要だ。
そういう自分も人間のくせに、ではあるけども。