出したい、その出し方
出力、表現、創作である。発露。
言葉にする、文にする、絵にする、音楽にする。
「さて…」と思ったとき、もし
思い浮かんだものが、枝葉のように広がったら
具体化したい。具体にしたなら、人へ伝えたい。
絵。
やめてしまったが、先のことは考えている。
トプカプ宮殿。紋様の美。図とか地じゃないんだよね。
そこにあるグネグネしたもの。
それが空間を埋めつくすように広がっていく、快感。
以前私は絵を描こうとして、人間や意味的事故を描いた。
よくわからないが面白い、そういう文脈を追求してきた。
紋様はどうか。広がっていって、何も語らない。
生きるためのただの背景だったりする。
壁でも絨毯でも折り紙でも良い。
曼荼羅。曼荼羅?と気持ちが動くことはあった。
しかし曼荼羅は曼荼羅、ちがっていた。
紋様は、いつか描くことになるだろう。
文。
ライティングの授業を受けたこともあるが、うまくはない。
うまくなりたくはない。
そつなく読ませる文章、オッと思わせるエピソードを挿入、
効果的な言い回し、落とし所… そんなのは気持ちわるい。
ぎこちなく直情的で、すうすう抜けがあって、バサッと終わる。
たとえばそのような文を書きたい。
筋は通っているがメビウスの輪のような構造をしている、とか。
文末まで読み、すぐまた読み返したくなる駆動系を内包している、とか。
文は体=文体なので、身をよじりながら生み出せばいいのだろうか。
写真。
いまだに取りこめないし、飛びこめない。
カメラは魅力がある。高くはないが望遠の効くコンデジを買った。
街を何枚か撮って、一言そえて作品にした。すぐに飽きた。
アレ、ブレ、ボケ。呼吸するように撮る。俺たちは天才だから、
と言い合える荒木森山をうらやましく思うこともあった。
写真が何なのか、いまだによくわからない。
写真集や写真論は面白く読むけれど。
自分の写真より、実際に目で見て感じたものの方が圧倒的だ。
そうではなく、写真ならではの何かはきっとあるはずなのだ。
音楽。
音楽の授業が嫌いだった。演奏は間違えてばかりで、
音を出すふりをしたりしてやり過ごした。苦しかった。
楽譜など読めようはずもない。
機械の力を借りて、電子的な音楽を作った。すぐに飽きた。
友人が「好きなように弾けば良いんですよ。俺はそうしてます」と言ってくれた。
楽器は美しい。音色も、音楽も。それは間違いない。
舞踏。
身体表現こそ真のクリエイティブなのかもしれない。
絵を描き始めたころ、「究極の絵描きは画材すら持たず、
ただ中空に見えない絵を描く身振りだろう」と考えた。
それは果たせなかったが、舞踏家とのセッションはした。
身体表現に絵描きは追いつけず、完敗だと感じた。
踊りながら自作の文章を朗読するのはどうだろう。
恥ずかしい。
…
今のところはこの程度だ。
また追記したり改稿すると思う。