修正論
正義とは何か。多くの人にとって正しいと言えそうなこと、だろうか。 「理にかなっている」の理とは何か。道徳やモラルは誰が決めているのか。 文化・文明・宗教・教育の違いが、全く異なる価値観や対応を生み出している世界、個々人でもたくさんの差異のあるこの世界で、人間は何を言おうとしているのか。 それでも言わねばならないし、決めなくてはならない、行動しなくてはならない。 選んだ理由を説明しなくてはならないこともある。 世の中を見渡すと、主義主張を変更することを極端に嫌い過ぎているのではないか、という印象がある。 撤回し、反省し、謝罪し、訂正し、次へ進む。それは悪なのだろうか? 重要な立場の人ほどそれが許されずに、批判の嵐にさらされがちだ。 岩のように強く同じ主義主張を貫き、立場を維持し、実行し、責任を果たしきる…当たり前のように求められるが、実行はとてつもなく難しいと思う。 一つの発言に、その人の全歴史・全人格・全知識・全経験・全繋がり、はては未来や可能性までものせて決めつけてしまうのは酷ではないか。人をそのように決めつけたり否定する権利をいったい誰が持っているというのだろう。 たしかに約束事として、おたがいの言葉や行動を受け入れて信頼する、その前提があってこそ私たちは繋がりが保てる。 しかし同時に言葉は、刹那的で不十分で淡いものでもある。密に、まめに、やり取りしなら、変化があればそれも共有しながら、流動的にやっていけたらいいと思う。