名前エンドレス(改稿 2024.2.8.)

自分の名前(アカウント名)が決まらない。

考えても考えても考えすぎの陳腐な名前が浮かぶだけ。それが重すぎて苦笑してしまう。
物とか動物とかおかしな名前の人々がいる。初めてのオフ会や有名になったとき、彼らは後悔しないのだろうか?
ユーザー名(@英数字等)も同じ。
考えたものは先に誰かにとられている。たくさん候補を考えてはまた時間をドブに捨てる。

…すべての命名は失敗なのだ。

そこで、名前の前に「まず何がしたいのか?」と自問する。
読書感想文、メモの蓄積、詩、日常、考察…

おそらくは新しい言葉の表現をしたいのだ。
絵はやめてしまった。絵でしていた表現を文でしたいのか? 
…それはまだよくわからない。

今日は名前が気になってブログが書けなかった。

名前。燃える命。


主体は自分の象徴的仮面あるいは称号とぴったり同一化することができない。だから主体は自分の象徴的称号に疑問を抱く。これがヒステリーだ。「どうして私は、あなたが言っているような私なのか」。あるいはシェイクスピアのジュリエットの言葉を借りれば、「どうして私はその名前なの?」 

(スラヴォイ・ジジェク『ラカンはこう読め!』p.63)

どんな名前もそのものすべてを語るには及ばない。
実態と名称はつねにすれ違う運命なのだ。